§ ここ一番、「狂」は「理」を超える
今日、高市首相の所信表明演説がある。今回の政権の成立は、
ドラスティックだったが、以下は新聞の取材記事なので、
どこまで事実かは分からないが、日本維新の会の国対委員長の
遠藤敬氏と高市早苗氏の政策協議の詰めの一節が、心に響いた。
遠藤氏が、「高市さん、狂ってください。これからあらゆる
抵抗があります。それを押し切って日本の大改革のためには
ある種の狂気が必要です。そのために私たちは国民に覚悟を
示すんです」
高市 「わかった!やるか!」
このやりとりを読んで、「命もいらず、名もいらず」を思い出した。
これは西郷隆盛の『西郷南洲遺訓』にある有名な一節、「官位も金
もいらぬ人は、始末に困るものなり。この始末に困る人ならでは、
艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり」からきている。
これは、自己の利益や名誉を求めず、国や民のため、己の信念を
貫く人物こそが、困難な事業を成し遂げられるリーダーであると
いう思想を表したものだ。
これは、高杉晋作の「一人立つ」という言葉にも通じる。晋作いわく、
松陰先生から教えてもろうた一番大切なことは、「志」を立てよだった。
「志」を貫くためなら、周囲から「狂」っていると言われても気にする
なっちゅうことです。この教えを生涯、心に刻むため、僕は時に「東行
狂生(とうぎょうきょうせい)」という号を使いました。
元治元年(1864年)、長州藩が幕府に恭順の意を示したとき、晋作が
起こした下関・功山寺(こうざんじ)における「一人立つ挙兵」。相手
は2000人。この「狂」に引き寄せられた約80人の同志とともに萩に
進軍開始!萩に着くまでに、「狂」の熱気に引き寄せられた者、多数。
結果、恭順派を内倒し、長州をいま一度、討幕派に固めた。
今回の政権成立のプロセスで、玉木雄一郎氏が理屈を超える「狂」を
発揮していたら、結果は分からなかったと思う。ここ一番、「狂」は
「理」を超える。
