社長のビタミン・一日一語

93年前の「個」を活かした感動物語

§ 「93年前の『個』を活かした感動物語」

年末年始の間に、是非、U-NEXTなどの配信チャンネルで
観ていただきたい映画がある。2014年の台湾映画
KANO 1931海の向こうの甲子園」だ。

観ていただきたい理由は、「多様性」「個を活かす」という
点では、原点のような映画だからだ。そして「感動」する。

舞台となる「かのう」とは、日本統治時代の台湾の嘉義
(かぎ)市に実在した、嘉義農林学校の略称「嘉農」を
日本語読みした当時の呼び名だ。物語の始まりは、1929年、
「嘉農」野球部は連敗続きだったが、新任監督として迎えら
れた日本人の近藤兵太郎の手により、部員たちの心には徐々に
闘争心と甲子園出場への夢が芽生えていった。この近藤監督は、
なんと臥龍の母校の大先輩!

近藤監督は、日本人のみを贔屓することなく守備に長けた日本人、
打撃に長けた漢人、足の速い高砂族の長所を組み合わせたチームを
作り上げていく。甲子園に向けた台湾大会が始まったが台湾代表は
1校のみ。従来は、日本人のみで構成された台北一中や台北商業が
出場していた。日本人以外は下手だと決めつけられ、三民族混成
チームは見下され、応援もされなかった。これまで、一度も勝った
ことがないチームの嘉農だが、全島優勝を果たす。

台北から凱旋した選手たちは、町中から大歓迎を受ける。迎えた
甲子園大会、嘉農は下馬評では弱すぎて本土のチームには相手に
ならないのではと危惧されていたが、奇跡の快進撃を見せる。
最初は、三民族混成を揶揄していたマスコミも、近藤監督の
「彼らは民族を問わず同じ球児だ」という反論を実証する活躍に、
次第に論調を変えていく。甲子園大会準決勝の対小倉工業戦も、
嘉農は10-2で圧勝。魂のこもった姿勢と素晴らしい強さは
本土の野球ファンをも魅了し、応援するファンも増えていく。

決勝戦、相手は名門中の名門、中京商業。しかし、エースの指は
限界を超え、出血する。結局、優勝はできなかったが、嘉農の最後
まで諦めない奮闘ぶりは、日台それぞれの人々に強い印象を残し、
スタンドにいた観客からは「天下の嘉農」と声援が飛んだ。

「天下の嘉農」、この場面で臥龍も泣いた。この「KANO 1931
海の向こうの甲子園」のリバイバル上映が、台北と南部・高雄の
映画館で始まった。多分、野球の国際大会「プレミア12」で台湾
代表が優勝したことが契機ではないかと思う。そして「KANO」は、
近藤監督がかつて指揮した松山の地で、ミュージカルになっている。
臥龍も、必ず観劇に行くつもりだ。