社長のビタミン・一日一語

神様に愛されるコツ

§  寺社仏閣で絶対にしないのはお願い事

神様に愛された方が、
嫌われるよりも成功確率は高い」(臥龍)

しかし、臥龍は寺社仏閣への関心はどちらかといえば低い。
誘われたら行くが、自分からは積極的には行かない。
だからたまに神社にいって、「あれ去年まで自分、厄年だったんだ」
ということが起こる。

正しいかどうかは別として、厄年らしい出来事は、
厄年を意識して引き寄せるものと自分は思っている。

また絶対にしないのはお願い事。ただご神体の鏡をイメージして、
「自分は事に臨む準備はできているのか?」と心眼で映して確認はする。

また「事に臨んで、
1.社会に善なるものか?、
2.私心はないか?、3.魂がワクワクするか?、
4.一人になってもやり続けるか?」と確認はする。
この「あり方」が出来ていれば、事は必ず成る。

実際に成ってきた。

神仏は尊べど、頼らず」(宮本武蔵)

§  神様に愛されるコツ

しかし、「映画の神様」には愛されている自信がある。
それは「映画」を愛しているからだ。
今回ロスアンゼルスに来ても、お目当ては、ディズニーランドではなく
ユニバーサルスタジオであり、アカデミー映画博物館だ。
そして野球の神様に愛される大谷翔平の試合を観るために、
三試合のチケットを取っていたが、こちらは大谷選手抜きの試合観戦となった。

たまたま「致知」のメールマガジンに以下の記事があった。

(ここから)
今年3月に開催されたWBCで、3大会ぶり3度目となる世界一に輝いた侍ジャパン。
チームを率いた名将・栗山英樹監督が予てお会いしたかったという横田南嶺氏と共に、
悲願達成までの舞台裏を振り返りつつ、その最大の勝因、今大会を通して得た学び、
さらにはいかなる出逢いによって自己を磨いてきたか、指導者としての哲学を縦横に
語り合っていただきました。

いかに野球の神様に応援してもらえるか

【横田】
準決勝で忘れ難い場面の一つが、メキシコの盗塁が一度はセーフと判定されながら、
栗山監督の抗議でビデオ検証となり、アウトに覆ったところです。あれで気の流れが変わって、
直後の七回裏に吉田正尚選手が起死回生の同点スリーランホームランを打ちましたよね。

【栗山】
おっしゃる通り、あそこが起点になって試合の展開が変わりました。
僕が常々大事にしているのは、少しでも何か思ったんだったら、
できる限りの行動を起こしておかないと、神様が許してくれないということです。
野球の監督を長くやっていると、どうやっても勝てないと思う時があるんですね。
おまえたちの努力の仕方、生きざまは認められないって神様に言われている感じ。
どう手を打っても動かない。

ところが、うまくいく時って何をやってもうまくいくんです。
僕がやっているのではなくて、神様がやっている。
できることはすべてやり尽くさないと、勝利の女神はこっちを振り向いてくれないと思います。
ああいう際どい判定の場面で、抗議しても判定が変わらないことも当然あって、
そうすると変な間ができてしまうだけなので決断が難しい。

絶対に変わらないと思って抗議しないケースもあるんですけど、あの時は誰かが背中をポンと
押してくれたんです。

そうやって上から行けって言ってくれる時があって、だから僕がやっていないって言うのは
そういう感覚があるからなんです。
(ここまで)

今、「よく分かる。思い当たる」と呟いた方、多いでしょうね。

「少しでも何か思ったんだったら、できる限りの行動を起こしておかないと、
神様が許してくれないということです。」

経営コンサルティングをしていて、違和感を感じたのに、すぐに言動に反映しなかったとき、
必ず「経営の神様」からのお叱りが来る。逆に、できる限りの行動を起こしておくと、
後日、「経営の神様」からのご褒美が来る。最大のご褒美は「臥龍ファミリー」だった。
年々このことの実感が深まってくるので、50歳以降、違和感を見過ごしにするのは稀だが、
この稀なときには、また必ずお叱りが来る。「やっぱり来たか」と思う。

なんとか違和感の見過ごしをゼロにしたいと日々、念願している。
念願していれこれだが、神様ではく「人間だもの」と許していただこうと思っている。