§ 目標は高くするものではない
「目標は高くするものではない、高くなってしまうものだ」(臥龍)
日曜日、京都・南座で、(人間国宝にして)五代目坂東玉三郎の地唄
「残月」、映像作品「夢二慕情」、舞踊「長崎十二景」を楽しんだ。
竹久夢二生誕140周年記念作品だった。一流プロは、一回一回のステ
ージ、絶対に手抜きをしない。お客様の審美眼の怖さを知っている
からだ。そして次の高み高みへと目標を上げていく。何故に一流プロは
高い目標を掲げるのか?
「伸びる人、伸びない人の違いは、究極、意識の問題です。意識さえ
高かったら、技術は習得するでしょうし、品格ある生活を送るでしょう。
でも、意識だけは教えることができないんです。これだけは人が変えて
あげることはできないと思います」(坂東玉三郎の言葉~「致知」より~)
高い意識、高い志・使命感を持つと、自然と目標は高くなるものだ。
人に言われて高い目標を掲げている内は、どこまで行っても二流で
止まる。
§ この手抜きは「意識」の低さ以外の何物でもない。
南座の後、誰でも知っている和食の店に行った。老舗。一人15000円の
コースだが、驚いた。最初に頼んだ飲み物が出てこない。冷房水滴が、
家内の背中に落ちて来た。「お品書きは?」と聞くと、「ありません」。
「お品書き」は、飲み物の量、種類を考えるのに要る。飲み物の種類が
しょぼい。聞こえてくる会話は外国語。インバウンドで潤っているのだろう。
だからといってこの手抜きは、「意識」の低さ以外の何物でもない。
調べると、本家筋ではない分家の店だったが、「看板」は同じ。これを
放置している本家もどうなのか?
臥龍、この看板の店、もう二度と利用しないと思う。「歌舞伎」の看板を
背負った舞台を観た後だけに、でかいギャップを感じた。